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ベーブ・ルース (バンド) : ミニ英和和英辞書
ベーブ・ルース (バンド)[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ベーブ・ルース (バンド) : ウィキペディア日本語版
ベーブ・ルース (バンド)[ちょうおん]

ベーブ・ルースBabe Ruth)は、1970年代に活躍したイングランドハートフォードシャー、ハットフィールド(Hatfield)出身のロック・バンド。ジェニー・ハーンのパワフルなヴォーカルとアラン・シャックロックのアレンジが特徴のヘヴィなサウンドを持っていた。オーケストラの導入、ギターとキーボード(ピアノ)のユニゾン、代表曲『ザ・メキシカン』に顕著な西部劇世界への言及など、特徴のある作風を持ち、ハードロックだけでなく、プログレッシブ・ロックのバンドとしての側面もある。
地元イングランドよりも、北米(特にカナダ)で人気があった。
==経歴==
1971年、最初にバンドが結成された時には、バンド名はギタリストのアラン・シャックロックにちなんで「シャックロックShacklock)」と名乗っていた。メンバーには、ジェニー・ハーン、デイヴ・ヒューイットらがいた。その後、デイヴ・パンションとディック・パウエル(スレイドのドラマー、ドン・パウエルの弟)がメンバーに加わり、バンド名をベーブ・ルースに改めた。ファースト・アルバム『ファースト・ベース』がカナダで大ヒット。1973年のセカンド・アルバムでは、ディック・パウエルがエド・スペヴォックに、パンションがクリス・ホームズにそれぞれ交代。1975年のサード・アルバムではホームズに代わってワイルド・ターキー(元ジェスロ・タルグレン・コーニックが結成したバンド)にいたスティーヴ・ガールが加入。同年、4枚目のアルバムでは、シャックロックが脱退し、元ワイルド・ターキーのバーニー・マースデンが加入。1976年の5枚目のアルバムでは、ハーンとヒューイットが抜け、エリー・ホープとレイ・ノットが加入し、オリジナル・メンバーが1人もいなくなってしまった。その後、バーミンガム出身の17歳のサイモン・ランベスがリズム・ギターで参加するが、ラスト・ツアーで数回演奏しただけでバンドは解散。マースデンはその後ホワイトスネイクに参加し、一方ランベスは音楽シーンから去ることになった。
70年代後期にベーブ・ルースの『ザ・メキシカン』をthe Bombersがカバー。1984年、このカバーを聞いてジョン・ベニテス(John Benitez)はエレクトロ/フリースタイル・ヴァージョンの製作を思い立ち、ハーンにヴォーカルを依頼した。この曲はアンダーグランド・ダンス・シーンで大ヒットとなり、ブレイクビーツのスタンダード・ナンバーとなった。
1980年代には、シャックロックがイット・バイツのプロデュースを手がけている。
2005年後期から2006年初期にかけて、ハーン(ジャニタ・ハーン・モリス)、シャックロック、パンション、ヒューイットが集まって、ナッシュビルでレコーディングをした〔Bobby Shred's Babe Ruth Tribute Page 〕。スペヴォックもロンドンでドラムを別録し、アルバムは2006年9月に完成した〔Que Pasa - exclusive online release 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ベーブ・ルース (バンド)」の詳細全文を読む




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